(一つ前の日記『司の過去』からお読みください。)
ちょうど大学3年生の時に祖父は亡くなりました。
その頃にはネットニュースが主流となり、新聞の何千・何万倍もの人に自分の書いたものを届けたいと、悲しみの中にも前向きな気持ちで就活に臨んでいました。
時代だって変わるんだ、新聞にこだわらなくたっていいじゃないか。祖父もきっと見守っててくれる。早く内定のためにがむしゃらに頑張ろう。
その甲斐あってか、某週刊誌のオンライン部門に内定が決まりました。
「わたしの文しょうをよんでもらいたい」
あの頃の可愛らしい夢は現実になりました。
しかし、入ってからはとても過酷でした。
ひとつの記事にもたくさんの時間をかけ熟考してしまうわたし。
期日に追われ気づけば何日も寝ていない日々。
3食ウィダーインゼリーを片手にひたすらパソコンで文字を打ち込む毎日。そして半年が過ぎました。
「スピード勝負の週刊誌には向いてないよ、君。」
そう言われても悲しくもつらくもありませんでした。ああその通りだなぁ、とただただ茫然としていました。うつ病と診断された時には体重が15キロ落ちていました。173センチで40キロ。鳥の骨みたいな手足だったとお見舞いにきた兄たちから言われました。
会社は辞め、病院のベッドで過ごす毎日が続きました。22歳の挫折でした。
祖父は、私が生まれた日の新聞を取ってくれていました。
阪神淡路大震災の針供養が行われたという見出しの上に、赤のサインペンで「祝誕生」の文字。
祖父にとって孫は3人目でした。誕生の喜びには慣れていたはずです。それなのに取っておいてくれていたのが本当に嬉しくて、
でもそれは、叶わなかった夢の輪郭が浮き彫りになっているようで、
でも、それでも、わたしはやっぱり文章を書くのが好きでした。
次日記『風俗は楽な仕事?』に続きます。
つかさ