おはようございます、かりなです!
今日は山笠(ユネスコ無形文化遺産)について綴りたいと思います。
博多祇園山笠の起源は諸説ありますが、
一番有力とされているのが、鎌倉時代の仁治2年に博多で疫病が流行した際に承天寺(【今日の雑学】7/2も併せて読んでみてね♡)の開祖である聖一国師が町民が担いた施餓鬼棚にのって、祈祷水を撒きながら町を清めてまわり、疫病退散を祈願してまわったことが発祥となったという説です。
【〇〇流】とは…?
豊臣秀吉による1587年の太閣町割りが起源と言われています。
大陸貿易の基地として大いに栄えていた博多の支配権をめぐって様々な大名達が博多の町を戦場として戦った結果、博多の町が焼け野原になりました。
中でも1576年島津義久が博多を撤退する際に町に火を放って全市を焼き払って薩摩に逃走!
これを追いかけた秀吉が島津を降参させて博多に戻り復興に乗り出したその手始めが、区画整理としての町割りでした。
太閤町割りは、まず、区画整理の基準となる筋を決めることから始められ、太宰府の方角を流れの上手にして基準線の方角を決め、これが今の大博通りの博多小学校横当たり。
東は御笠川、西は博多川を境に、市街は十町(約1キロ)四方と定め、幹線道路を東西に3本、南北に4本走らせ、その一区画を【流(ながれ)】と呼びました。
この【流】が博多祇園山笠のグループ単位の発祥となり、現在は、千代流・恵比須流・土居流・大黒流・東流・中洲流・西流の七流となっています。

追い山笠の起源…?
かつては町ごとに飾り山の華美を競いながら練り歩いていましたが、江戸時代、一説には土居流が東長寺で休憩中、恵比須流に追い越される事件がおき、このとき2つの流が競争となり、スピードを競い合う追い山笠が始まったとされています。
また、ある一説には女の子を取り合って流で早かった方がお嫁にもらうというものもありますね!
明日(7/15)朝4時59分からいよいよクライマックスの追い山笠!
櫛田神社の周りは1時ごろから人でいっぱいになるので観に行かれる方は水分補給しながら楽しんできてください♡おいさーっ!
かりな♡