天空のマット(店舗型) 福岡店
【今日の雑学】
おはようございます、かりなです♡エロ要素はゼロ😉暇な時に読んでいただければ。今日は長篠の戦いが起こった日。(1575年6月29日)当時の領地↑織田・徳川連合ピンチかと思いきや、武田信玄が持病の悪化により急死。武田側は、四男の勝頼が戦を継ぐことに。側室の子で四男は本来家督を引き継ぐ立場ではありません。兄達が失脚したりして勝頼になったのです。前リーダーである信玄のカリスマ性に惹かれた重臣たちからの信頼を得るのは難しかったことでしょう。チャンスとばかりに家康はその間に取られた領土を取り戻す。信長は、時の将軍・足利義昭を追放して室町幕府を滅亡させると共に反織田派の浅井・朝倉・三好を滅ぼしました。武田勝頼withまとまらない重臣たち。それでも明智城や高天神城を陥落させていきました!目指せ、長篠城!長篠城の守りは手薄でした。陥落寸前にまで陥った時、城から抜け出し徳川に援軍を求めに行ったのが鳥居強右衛門!不可能と言われる速さで徳川家康がいる岡崎城へ。(長篠城から岡崎城まで46.2kmを半日もかからずに突っ走った)軍を出してくれると聞いて喜び勇んで帰ったものの武田勝頼に捕まっちゃったんですけどね…最後まで漢の中の漢でした。この方のおかげで徳川も織田も急いで長篠城まで兵を出すことができました。反織田派を倒し室町幕府も滅亡させたノリに乗ってる信長の兵は約30000人。徳川8000人。計38000人。対して武田は15000人。人数では織田・徳川が圧倒的ですが信長は決して油断していなかったそうな。あのカリスマ武将信玄の息子・勝頼。纏まらない重臣たちとでもここまできた…!そこで鉄砲隊三段構え戦術をとったという事です。最新兵器を使った戦術・兵が少なく見えるように陣取った織田信長。油断して賭けに出てしまった武田勝頼。最新兵器にびっくりして武田の陣は瞬く間に崩れ、武田軍の信玄が天塩にかけて育てた名だたる武将も倒れてしまいました。結果は言わずもがな織田・徳川連合の勝利。信玄は亡くなる前に勝頼に【上杉謙信とは和議を結ぶように。謙信は漢らしい武将であるから困ったら上杉謙信を頼りなさい。私は大人げないことに謙信に頼ると言い出せなかった。】と言ったそうです。かつて闘った漢同士。良いライバル!かっこいいなあ。上杉謙信が武田側についていたら…歴史って面白いですね![拡大してみて]待てぃ!何なのこの人たち…無課金アバターがいるぅ!ヘラヘラ笑ってる人もいるぅ!毎回長くなるこの雑学日記書きたくても書けないこととか側面とかあり過ぎてもっと書きたいけどとまらない。当時の背景を調べてみたりとか動画観たりとかでまとめて、書き出してから2時間が経っています。変な画像作ったりしたからかな?いいんだ、楽しいから…温故知新って言葉もあるし!かりな♡
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