私が出会ったお店の名前は 「痴女性感フェチ倶楽部」 といいました。

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共に進化し続けるのが五反田のM性感です。

街に出ると、毎日初めて会う人達がいます。

すれ違う人達の9割以上が「初めまして」です。

「初めまして」「こんにちは」

見ず知らずの人にそんな挨拶をすることはありませんが、街には出会いが溢れています。

人は1人では生きていくことができない生き物です。

1人が好きな人は世の中に多く存在しますが、人の手を借りずに生きていくことができる人はこの世に1人もいないでしょう。

誰しも必ず、誰かの手を借りて生きているのです。

誰かの手がないと手に入れることができないもの

誰かの手がないと感じることができないこと

誰かの手がないと満足できないこと

誰かの手がないと性欲も満たすことができない場合もあります。

特に自分のこだわり抜いた「フェチ」をお持ちの方は、自分1人でその「フェチ」への欲求を満たすことはできないでしょう。

頭の中で描いている妄想を現実にする場合、間違いなく人の手が必要なのです。

しかし、いくら気の知れた友人や彼女、奥様であっても自分の「フェチ」はなかなかさらけ出せるものではありません。

妄想を言葉にしてしまった瞬間に耐え難い現実が待っている場合があります。

誰しもがそんな恐怖心から自分の「フェチ」をさらけ出すことなく日々を生きているのです。

結局は妄想の世界だけで自分を満足させようとしているわけです。

人間はわがままな生き物ですが、同時に我慢できる生き物です。

やりたいことがあっても、ほしい物があっても我慢することができる生き物です。

時に痛みすら我慢することができます。

しかしどうでしょう。

我慢しているだけの人生、それで面白いでしょうか?

ずっと、その妄想を我慢し続けて果たして心は満たされるのでしょうか。

会社、家庭、地域、隣人、、、

ただでさえ我慢することの多いこの世の中で「本当の自分」を押し殺して生き続けることは

「拷問」

と同じではないでしょうか。

「拷問」に耐え続けることで満足してしまう性癖をお持ちの方もいるかも知れません。

しかし、そうじゃない人の方が大半なはずです。

その妄想、どこかで発散する場所はないのでしょうか。

誰にもバレずにこっそりと、しかし思いっきり発散することができないのでしょうか。

こんな時に手を貸してくれる人はいないのでしょうか。

誰しも必ず、誰かの手を借りて生きているのではなかったのでしょうか。

そんなもやもやを抱えた私はとある街へ出て、とあるお店でとある女性に出会いました。

その街の名前は

「五反田」

その女性は

「痴女」

私が出会ったお店の名前は

「痴女性感フェチ倶楽部」

といいました。

「痴女」という女性に初めて出会った私はすぐに某知恵袋へ質問を投稿して、善意の第三者が手を貸してくれるのを待ちました。

そして返ってきた返答が

「痴女とは痴漢の女性版。スケベなことが大好きで男性を見るとつい手をだしてしまいたくなってしまう女性のことです。男性を責めたい、イタズラしたい、犯してしまいたいと常に妄想をして、その妄想を現実にすることで自らも興奮し快感を得ることができる女性。男性の全身にある性感帯を熟知し、あらゆる手段を使い性感帯を刺激することで男性を非日常的な快感へと導くことができる。また性に対しての好奇心、探究心が強くチャレンジ精神に溢れた女性のことです。」

というものでした。

この返答の通り、痴女は嫌な顔一つせずあらゆる手段を用いて私の欲求を満たしてくれました。

私は「五反田」という街で今日初めて出会った「痴女」という女性に手を貸してもらったのです。

スケベなことが大好きな痴女は待ち合わせをしてホテルへ向かう途中、何度もいやらしい目で私を見つめながら耳元で卑猥な淫語を囁きました。

週末で人通りも多い五反田の駅前で、私はひと目を気にしながら卑猥な淫語責めにあい、恥ずかしさと妙な興奮を感じながら少しづつ反応していく下半身を落ち着かせることに全力を使いました。

しかしさすがの痴女です。

そんな私の下半身の変化に気づいた痴女の手は徐々に私の下半身へと近づいてきます。

触れるか、触れないかのギリギリのラインに置かれた手は歩くリズムに合わせて私の下半身に触れていきます。

思わず声を出してしまいそうになるのを必死に堪えながらエレベーターに乗り込み一安心と思いきや

触れるか触れないかのギリギリのラインにあった手が完全に私の下半身を握りながらしごきだしたのです。
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